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naitou

「記憶とタンバリン」


昨夜、家の人が帰宅したら、

どんなにたたきおこしても起きる気配がまったくないくらいぐうぐう眠っている私と、その隣に腹を出してひっくりかえって寝ているネルネルがいたそうです。

さぞかし、のびのびと、しあわせな睡眠だったことでしょう。


夜は、世田谷線沿いに自転車を駆って、七月堂へ。

自分ではない言葉をむしょうに読みたくなって。

DJホーリーのモデルでもある、店主の後藤さんに会いたくなって。


そして季節はとたんに冬へと向かい、

こたつを出そうかどうか、黒猫としみじみ会議する私なのでした。


本番直前にオリジナルタンバリンをつくる時、うっかり針で刺した指先がちょっと化膿して腫れてきていて、まあでも今は本番後だから楽器弾くのにとくに支障なくてまだよかった、だなんて思っています。


左側に貼っているのは、衣裳案スケッチ。

こういうの描くのじたい、好きなんでしょうね、きっと、私。



たくさんのかたがたに、お礼のご連絡やお手紙をゆっくり書こうとしていて、ただ、今はまだ、そうすると全部過去になってしまいそうで、まだしばらくこの夜の感覚の中にいたくって、猫を抱いてぼんやりしているさなかです。

思い入れ過多になりがちなセンチな文章を避けたくて、お時間置いているというのもまた事実。ひとつずつ、送りますね。



すごく昔、制作で携わっていた劇団の動員が1000人こえたくらいの初期、やはり公演後にぼんやりしていると、当時の演劇情報誌の編集長から「舞台写真を送りなされ」と電話がかかってきて、日々のバイトや日常に戻ることと公演の事後処理でてんてこまいだった私がまごまごしていると、

「あのね。後パブ、これからはだいじにしたほうがいいよ」と、優しく教えさとしてくださったことがありました。


すぎてゆく、ちいさくてたくさんの記憶たちは、いったい誰のどこにしまわれていたのでしょうね。


私の書いた言葉やメロディが、たくさんのひとの思いを得て、いくつもの物語が新しくたちあがってゆく場面にたちあえたこと、とてもしあわせに思っています。

どうもありがとう。

おやすみなさい。






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