敷きっぱなしになっていた病床をあげて、ついでに部屋のあちこちに好きなものを配置しながら、かったぱしから手持ちのCDをかけていた。
その中で、クラムボンの「便箋歌」が流れた。
きゅうに歌全体の世界観や物語やなんかは全部すっとばして、「ブラバンの部長」という歌詞でただそのワードだけに反応して、私はちょっと泣いた。
私の在籍していた高校吹奏楽部は、今ふりかえっても、みなかなり全力な季節をすごしていたように思う。
その中で、思春期の16歳17歳をまとめあげるのは大変だっただろう、「ブラバンの部長」は、代々、みなさま、えらかった。
そんな中、私の代の部長は、ホルンの井上くんだった。
高校2年になりたての頃、気が強い人の多かったトランペットパートでのもめごとに疲れた私が部室の隅で涙ぐんでいたらささっと学年ミーティングの場を設けてくれたこと、夕暮れの校舎に響いてゆくソロコンに出場する何人かの個人練習の音色、3年になって部活を引退してからはクラスごとの合唱コンクール(指揮&ピアノ伴奏)などなどで、同期どうしで戦っていたこと。
記憶は強い。音楽はやまない。
彼のお葬式に、私は行けなかった。
大人になってしばらくして、私は演劇界で必死すぎる強烈な人生を歩んでいて、なにかひどく大変な時期、しかも少し後になってから、彼が病に倒れたことを聞いたんだと思う。
その1月に彼が亡くなってから、もう何年たったのかも、わからないまま今にいる。
自分たちの思春期にあの年月があることは、みなの誇りだと思う。
私はいつか、描かなきゃいけない。
あの年月のこと。井上くんを含むソロコン金賞の同期たちのソロで始まる、私の代の定期演奏会最後の曲。それは先生が毎年前半を作曲してくれていたこと。ちょっとこけた展覧会の絵。演奏していて思わず胸がふるえたローマの松。
だいじょうぶ。
ごめんね、こんなに年月が経っちゃったね。
私、高校の頃より、もうちょっとものが描けるようになったと思うのね自分でもね。
だから、ちゃんといつか、書いておく、それだけでいい。
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