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~ripple in my heartの夜に~
GOMES THE HITMAN 30th ANNIVERSARY LIVE
2023.12.8 スターパインズカフェ
週末の吉祥寺は、いつもものすごい人波。
ちょっと前まで、吉祥寺には二度と行くことはないだろうと思っていた。
私はかつてこの街で、ひどくつらい季節をすごしたことがある。
その記憶と痛みが消えることは、もう生涯ないと思う。
そんな私だけど、20代なかばからずっとそばで流れていたこの歌声と大切な楽曲たちに会いたくて、ただそれだけのために、今はこの街のライブハウスによく通っている。
最初は、やはりちょっとこわかった。
街の景色のあちこちに全然まだつらい過去の残像は残っていて、もしも呼吸が浅くなったり涙がとまらなくなったりしたらと思うと、本当にきつくて、でもそれでもどうしても、彼らのライブに行きたい気持ちのほうが強く勝った瞬間は確かにあって。
ああそうだ。かつての日々にもずっと、私のそばでそっとこの歌たちは鳴っていてくれたんだよな。
じゃあ、今の私が、元気な自分で聴きに行かなくちゃな。
あたりまえだよな。
なにかをちゃんとこえたらまた新しく会えたようなその瞬間の、青空に高くぬけてゆく飛行機雲のような晴れやかさを、私はずっと忘れないでいたい。
駅から、ライブ会場のスターパインズカフェへの短い道のりは、いつもごちゃごちゃと混んでいる。
アーケードの人波をぬけて角を曲がると、もう何人かが並んでいたり楽しそうに看板の写真を撮ったりしていて。
この前の春から、GOMES THE HITMANの30周年アニバーサリーライブが全5回の企画で続いていて、その日はその4回目、2000年代頃のアルバム3枚を中心としたライブだった。
GOMES THE HITMAN「mono」「omni」「ripple」。
ずっと私の仕事机のひきだしにあったこの3枚のアルバムどれもに、仕事一色だった時期の過去や記憶や景色は強くしみついている。
それらはかなりの率でいつも私のPCやその周辺から鳴っていた。(外に自分のPCを持参して作業する、ということが可能になりつつある時期だったからでもある)
ここからの数々の楽曲を、ここ数年のライブでいろいろなバージョンで聴くたびに胸をうたれてしまうのだけど、この日はもう本当に、かなりの届き方だったように思う。
もちろん自分個人の思い入れや景色は多々あるのだけど、そういうものをたやすくこえて、ただこのバンドの現在の演奏や熱量、来し方の眺めかたそのものに見とれて聴き入ってしまうようなライブだった。
自分の暮らしのシーンそのひとつとして、このバンドの持つ磁力が今も日々育ってゆくのを長年ずっと見ていられること、きっとこれこそがすべて「愛すべき日々」なのだと、今は思う。
ライブでの楽曲の数々について、書きたいことはそれぞれにもちろんたくさんあるのだけど、それはまたいつの日にか。
今日はひとつだけを大切に書くことにする。
私のその日のハイライトは、「それを運命と受け止められるかな」だった。
そのちょっと重みのある前奏に気づいた瞬間、もう胸がつまってしまって、あとはじっと黙って聴くばかりだった。
(この曲との記憶を、以前に自分で書いた文章はこのあたりにあります)
今までずっとこの曲をライブでは聴かなかった分さらに、長い年月を経てのそのサウンドも歌声も、昔よりさらに懐の深いいつくしみをともなって、現在ならではのすごみを間近に増していたように思う。
背中を押すわけでもなくはげましてくれるでもなく、ただ当時の私にそっとより添って時には護ってくれていたこの歌。それを今日こうして元気に聴いている。
きっと、今なら、この歌をもうひとつ外側から見ることができるかもしれない。かつてどうしようもなくめんどうな渦中にいたことさえも、歌にかえて今にかえて。
幾重もの深いメロディにのせて、遠くどこまでものびてゆく強い優しい歌声、その詩の世界。
この歌を今日現在のかたちでじかに聴けたことを、彼らも私もどこかの誰かもここまで来れたことを、ただただ嬉しく思った。
今はさ。私はきっともう大丈夫だからさ。
『大好きだった歌 目をふせたままで聴いた』そんなふうに立ちすくむどこかの誰かがいたら、たとえ数秒でもひとことでもかけらだけでも、かつての私がこの歌からもらい続けたものをいつかだいじに見せてあげられたらいい。
そう思わせてくれるものがその日の演奏には確かにあって、やがては泣き笑いのような気持ちで最後の音をみおくった。
全力な日々だったと思う。あの頃。
この3枚のアルバムとともにあらゆる季節をかけぬけたし、持っていないCDは当時の山田さんのソロライブで手に入れたり、ライブ会場で配布されたCDRやPodcastを聴きこんだりしていた。
バンドでのライブ活動がないな…と思い始めた頃と、自分が携わっていた劇団存続の雲行きがあやしくなってきた時期がなんだかかぶっていて、当時の私はそのどちらもあまり気づかないように考えないようにしていた。
日々、難問が待ち構えていて、ちょっともう、今私はどこにいるんだろうと思って、だんだん気が遠くなりかけてはまた次々と追い打ちをかけるように難問が…というような毎日だったから。
さて、昨日の東京は初雪でした。
冷えきって帰宅して、猫を抱き上げて、ずっとつめたい窓の外を見ていました。
そして夜中すぎからぽちぽちとこの文章をなおしているうちに、私はなんだか不思議な感覚にとらわれつつありました。
この一年をかけて、このアニバーサリーのライブをたどって、順を追って、私はもう一度新しく未来へと生きなおしているかのように思うのです。
このライブシリーズの帰り道は毎回、個展の開催を急遽決めたり、予定している自分のイベントに名案を思いついたり、優しくしっかりした気持ちでいっぱいになった新しいノートのようでした。
どんな暗転でもちかりと光る記憶の断片、誰かの言葉の影、まばゆかったことごと。
まきもどったり足元を見つめたり明日を思ったり、なんだかもう過去も未来も現在もすべてが、今の彼らの演奏にのって素敵にまざって色づいてゆくように思えてしかたがありません。
おそらく、一度の人生ではかなわなかった自分。
30代なかばでいったん生き終えたかのように立ち止まりながらも、そこからまた長い年月をかけて少しずつひらいていった日々。
その間、いつだって絶えることなくそばでずっと流れていた曲たちに、今は今をかさねて大切に生きなおしてゆくこのひととせ。
もらった種が芽吹いて花が咲いて素敵な赤い実がみのって、また誰かの種となってゆくかのようにめぐりゆく年月は、歌となっていのりとなって、たくさんの人々に今日も響く。
もうすぐ夜が明けるでしょう。
静かに明けゆく空を、あたたかな部屋からながめている私の手元には、新しいリアルなノートがあって、そこに記されてゆく数々の言葉にも絵にも、この気持ちはやがては宿るでしょう。
それは私ひとりだけではなくて、たくさんの誰か、同じ曲を聴く人々それぞれのあまたの景色そして未来を描く新しいノートであり続けることでしょう。
今度のライブ、アニバーサリーの完結編は3月。桜の開花にかさなる頃となりそうです。
次々とひらいてゆく春の花を待ちながら、楽しくその日を待とうと思います。
2024.1.14朝
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