昨夜、すごくくたびれて帰宅してばったり眠ってしまったので、
私に遊んでもらえると思ってわきわきして待っていたネルが、夜中に怒った。
ごめんごめん。
にゃーにゃーかじられて起きた私は、早朝から、新しい鬼ごっこなぞくりひろげることに。
24歳くらいのことだと思う。
「モチベーション・モス」と勝手に呼んでいるモスバーガーがあった。
当時、初めての一人暮らしで住み始めた葛西駅から西葛西駅へ向かう途中にそのモスはあった。
制作に携わっていた劇団の拠点が早稲田で、バイト先の会社が銀座四丁目だったから、東西線沿線で安くて住みやすい駅をなんとか探し出したんだった。
その頃、毎日、とてつもなく忙しかった。
そのモスへ行くのは、公演と公演の合間の季節、一駅くらい歩こうかななんて思う時間と気持ちの余裕がある時期だけだった。
そんな季節は、いつも考えごとでいっぱいで、時間と気持ちだけはたくさんあって、私は自分に何ができるだろうと思ってばかりいた。
劇団の前回公演のアンケートの束をじっくり読み返したり、ノートに思いつくまま箇条書きにする案件、「そうだホームページを作ろう(当時はネットじたいがめずらしかった……)」と思い立ってははやる気持ち、机にならべたうまくとれてない舞台写真。劇団員からの手紙。
もう、すべて、ものすごく遠い昔のことだ。
すさまじい愛憎のはてに別々の道をゆくこと。何をよしとするかの決定的な違い。みにくいあらそいごとの数々。
それらと同等もしくはうわまわるであろうまばゆい記憶。演劇の神様が降りてきた一瞬の景色。舞台と客席を照らす嵐のような拍手と笑い声。
たとえ永遠ではなくとも、ちょっとでも永く強く、その場をつくりつづけていたいと願い続けて働いていたこと。
それがすべて打ち砕かれた時のこと。
もう、全部、ただの遠い昔だ。
今の私に、「モチベーション・モス」は、ない。
そんな場所、あったな。とちょっと思うだけだ。
今は私は、ずいぶんと自由に息継ぎをしている。
ものを書くこと、なにかを描き続けることに対して、まったくくたびれることなく楽しく、むしろふと立ち止まったら泣いてしまうかもしれないことのほうがつらい。
どちらかといえば、ファストフードの中ではフレッシュネス派なのだけど、
なんだかその頃の、道路が広くて人が少なくて、けがをした仔猫を拾って一緒に暮らし始めて、大きな川に屋形船が流れていたその灯やなんかを思い出すと、いつも一緒によみがえるのは、そのモスの机に並んでいた劇団の資料。その記憶。
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