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<「踏切にて」もしくは、誰かのための民話>



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Naitou write

<「踏切にて」もしくは、誰かのための民話>

2024.2.4

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そのうつくしいアコーディオンが私のもとへやってきたのは、9月も終わりのまだ暑い日でした。

それまでけんめいに練習していた、赤いかわいらしい「トンボさん」(TOMBO)とはまた違って

「ボタンがいっぱいある…」と、あたりまえの事実にちょっと青ざめると同時に、

どうしてもこのアコーディオンとともだちになりたい、と強く思ったのでした。

 

その頃私には、次につくる本に入れたいと思いつつ、うまくまとめきれずに机のひきだしにしまったままの一篇がありました。

それは、毎日のように渡る踏切での景色を描いた散文作品でした。

この踏切も、高架事業が進むにつれて、そう遠くない未来にはなくなってしまうのでしょう。

毎日毎日何年も、ゆきかう人々をここで見てきました。

もしかしたら、今はもういない人とさえも、ここですれ違っているのかもしれません。

 

ある日、あかずの踏切と言われているその踏切での雑踏に、ふと見かけた学生さんのような男の子の後ろ姿に私は思わず「あれっ」とつぶやきました。

ぼうしかぶって、長袖着て、首になんか巻いて、ガチ袋さげて自転車ひいて……

って、あれ伊奈じゃない?

いやそんなわけはなくて。だってあの子どう見てもはたち前後じゃないの。私も伊奈も今いくつだと思ってるのよ。

いやでも…っていうか…えー…。いやーよく似てんなー。なんてな…。

同時に、当時の自分たちを含む景色が私をいっぺんに襲ってきました。

かつて同じ劇団に在籍していたひとにしかわからない無数の記憶。

ぐらりとめまいがしました。

それでも踏切は開きませんでした。

それまでの私に描けるのは、とりあえずそこまでだったのでした。

 

話は変わって、10月。

秋の気配もどこやらで、まだまだ暑さの残る日々の中、アコーディオンでいくつか、和音やメロディを弾いてみている時のことでした。

つと、「あれ、これ知ってる。このなつかしい音の組み合わせ…これなんだっけ」と思ったのです。

それは、中学の頃部活でいくどとなく演奏した吹奏楽曲のメインメロディの出だしだったのでした。

『吹奏楽のための民話』(ジム・アンディ・コーディル)その曲を、13歳くらいの私や友人は「次、民話、やろっか」などと親しげに呼んでは演奏していました。

その頃の吹奏楽コンクールでは人気の定番曲だったので、実際に演奏したことはなくとも、吹奏楽経験者なら聴き覚えのあるひともいるかもしれません。

 

最初はミ。ううん、レだ。だってトランペット一音違うから苦労したもの。

じゃあ左手は?このへん?コードで言ったら何?どこから入る?正しいリズムと弾きやすいリズムだったらどっち?

うろ覚えのなつかしい曲を、わかる限りの音をたどって、私は弾き始めました。

 

私の中で全部が「かちり」と組み合わさったのは、その時だったと思います。

その曲の独特なメロディがかもしだす物語性にのせて、自分なりの昔語りのような作品を明日に向いてひとつ、あざやかに作りあげられたらいいとはっきり思ったのでした。

 

そこからすぐにふりきって書き上げることができた散文詩「踏切にて」、朗読はもちろん伊奈さんにお願いしました。

この作品をつくるきっかけでもあった彼ならば、まっすぐに読み解けるであろう深淵を私以上につむぎだしてくれて本当にありがとう。

自分が、誰かが、ちゃんと歩き出してゆく姿を書き留めておくのもまた、今の私ならできることなのだと思わせてくれた伊奈さんやみなさんとの制作過程は、とても楽しい日々でした。

 

そして。

私にこのうつくしいアコーディオンを触れあわせてくれた、尊敬する音楽家のご夫妻に心より感謝いたします。

楽器を恋う無垢な気持ち、音楽をともだちとして日々を素直に楽しむこと、メロディと和音の中に住む何者かを垣間見る瞬間、やがて歌へとかえてゆく楽しかったこと悲しかったこと。

初心を思い出すことも新たに学ぶことも、たくさんたくさんありました。

短い時間の中、もう本当に大切なことばかり見せていただいた気がしています。


書くことも描くことも音楽も、ともだちだった子供時代そしてこれから。

踏切のあるこの景色も思いもなにもかも、私はちゃんと持っていくんだと思います。

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